ヘンリー・ダーガーは、1892年から1973年まで生きた画家である。
「ダーガー」の発音がさだかであるかは知られていない。生前、ヘンリー・ダーガーの隣人であった方ですら彼の名前の発音を知らなかった。彼は類い希な孤独者だったのである。
ヘンリー・ダーガーは、4歳になる前に母親と死別している。妹は里子に出されたことで離ればなれとなり、ターガー自信は足が不自由だった父のもとで育った。
ターガーはきわめて知的で頭がよかった。小学校のとき、1年から3年まで飛び級した。読書好きで本の虫であった反面、友人関係や周囲の人間とのコミュニケーションはうまくとれなかった。
実際、8歳で父親が体調を崩しカトリックの学校に入れられた時、ダーガーは周囲とうまくなじめず退学を余儀なくされている。
12歳になると、感情生涯ときめつけられ(これは誤謬であったとされる)、知的障害児の施設へと移されることになる。15歳で父の死の知らせを聞き、翌年には施設を脱走。聖ジョゼフ病院の掃除夫の仕事を得、73歳で強制的にやめさせられるまで掃除人として働いた。
そのかたわら、夜間には小説を書き、絵を描いた。小説よりも、本文に添えられた挿絵のほうに現在では評価が高まっている。ただし、本人はそれを作品として見なしたことがなかった。死の際、彼はすべての自分の書いたものを焼却するよう望んでいた。